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ウィルコ () とは、アメリカ合衆国のサラブレッドの競走馬、および種牡馬である。おもな勝鞍は2004年のブリーダーズカップ・ジュヴェナイル。 == 経歴 == ケンタッキー州にあるローゼンド・パーラ所有のミレニアムファームで2002年に生まれた牡馬である。1歳のときにキーンランドのセプテンバーセールに出品され、そこでスーザン・ロイに75000ドルと、当時としても相当な安値で落札された。 ロイはウィルコをイギリスのジェレミー・ノスィーダ厩舎へと送り、そこで2歳のシーズンを開始した。5月のデビュー戦では3着に終わり、後の3戦目で初勝利を挙げている。最も大きな戦果となったのはヴィンテージステークス(グッドウッド競馬場・G2)の一戦で、後に同年のカルティエ賞最優秀2歳牡馬に選出されるシャマルダルを相手に2着と善戦した。イギリス時代の競走成績は10戦2勝であった。 同年の10月、アメリカ合衆国のビジネスマンであるJ・ポール・レッダムはウィルコの所有権の75%を購入し、同馬をアメリカのブリーダーズカップ・ジュヴェナイルへと挑戦させた。同年のジュヴェナイルはローマンルーラーやアフリートアレックスといった有力馬が名を連ねており、それまでダートでの出走経験がなかったウィルコは単勝29倍の7番人気(8頭立て)という低評価であった。しかしランフランコ・デットーリ鞍上のもとで、ウィルコは2着のアフリートアレックスに3/4馬身の差をつけての優勝を飾った。 以降はアメリカを拠点とし、同年はブリーダーズカップの後にハリウッドフューチュリティに出走して3着に入っている。しかし、そのBCジュヴェナイルはウィルコが最初で最後に挙げたアメリカでの勝鞍であり、以後1勝も挙げることはなかった。 3歳シーズンは西海岸からアメリカクラシック三冠路線に乗るも、年初から勝ち星を掴めず、本番初戦のケンタッキーダービーでは6着、続くプリークネスステークスでは12着と大敗した。休養を取って12月から再始動しているが、年末のマリブステークスでは11着と再び大敗を喫した。 翌年・翌々年も競走を続けたが、結局勝つことはできず、5歳時の2007年には下級条件戦(オプショナルクレーミング)にも出走させられている。その後2007年6月のハリウッドゴールドカップで8着ブービーに敗れたのが最後の出走となり、8月になって引退が発表された。BCジュヴェナイルでの勝利から数えて、18連敗後のことであった。 2006年のサバーバンハンデキャップのように殿負けを喫したこともあり、なかには下級条件戦で殿負けになったこともある。一方でサンタアニタダービーやサンタアニタハンデキャップなどでは3着に入っており、時折力のありそうなところを見せていた。古馬時代における最大の活躍として、勝ち馬エレクトロキューショニストに4馬身半離されながらも2着に食い込んだ2006年のドバイワールドカップがある。ちなみにこの時、日本から遠征したダート最強馬カネヒキリを6馬身ちぎっている。 引退後は種牡馬となり、2007年9月からアデナスプリングスに繋養されている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ウィルコ (競走馬)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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